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京都家庭裁判所 昭和54年(家)1718号 審判 1980年2月28日

申立人 村松義則

事件本人 村松玲子 外一名

主文

本籍京都府宇治市○○町○○××番地、筆頭者村松義則の戸籍中、長女玲子並びに長男誠の各戸籍について、母欄の「ムラマツ」とあるを削除することを許可する。

理由

一  申立

(一)  申立の趣旨 主文同旨の審判を求める。

(二)  申立の実情

一 申立人は昭和四八年四月二四日スイス国において、同国の方式に従いスイス人女性コーネリア・サリー・マリア(以下マリアという。)と婚姻し、同国民法第一六一条(妻は夫の氏(nom)を称する。)により、スイス国の家族簿に夫婦の称する氏として、ローマ字でムラマツと登録された。

二 その後、申立人とマリアとの間に昭和五〇年七月一三日長女事件本人村松玲子、昭和五二年七月七日長男事件本人村松誠が各出生した。

三 申立人は本籍地の宇治市長に対し、長女の出生届をする際、母の氏を「村松」と記載して届け出たが、編製された長女の戸籍中の母欄中の氏は、マリアの婚姻前の呼称コーネリアと記載された。

四 そこで申立人は宇治市長に対し戸籍法第二四条による戸籍訂正を求めたところ、昭和五二年五月二三日付で母氏に変更があつたものとして、前記コーネリアとあるをムラマツと更正された。しかるに、申立人は、右は母氏の変更ではなく錯誤による記載であるから、訂正理由をその趣旨にそつて、事件本人の戸籍中の身分事項欄に記載すべきであるとして、当庁に対し昭和五二年九月六日宇治市長の処分に対する不服を申立て(当庁昭和五二年(家)第二三九〇号)、その結果、戸籍法第一一三条により、前記身分事項欄中の母氏の訂正理由を母氏の錯誤による記載であるとして訂正された。

五 次いで、長男の出生に際しては、母氏をムラマツと届け出、右に従い、事件本人誠の戸籍中の母欄中の母氏はムラマツと記載された。

六 ところで、マリアは上記のように婚姻により夫の氏である村松の氏を称することになつたものであるが、スイス国の家族簿にムラマツとローマ字で記載されているのは、申立人において、スイス国に対する婚姻届の際、提出した申立人の戸籍謄本に添付した翻訳文(在スイス日本大使館作成の独語訳)にローマ字でムラマツと記載されていたのが、そのまま登録されたものである。したがって、スイス国の家族簿に記載されているローマ字は漢字の村松の独語訳であり、マリアの婚姻後の氏は実体的には漢字の村松である。

七 さらに、事件本人らの戸籍中の母欄中、母氏がムラマツと記載されているが、一般に母欄中における母氏の記載は、当該の子が非嫡出子か、あるいはその父母が離婚している場合を示すものである。しかるに事件本人らは父母が婚姻中に出生した嫡出子であり、父母も現時点においても婚姻中であるので、上記記載は真実の身分関係を前提としない記載となつている。

上記のように、戸籍に真実の身分関係を前提としない記載をすることは、通常日本人の場合にはなされていないから、これは事件本人らの母が外国人であることをもつて差別するものと考えられるが、このような取扱いは人道上公平を欠くものであり、事件本人らに社会生活上著しい不利益を生ぜしめるものである。

したがつて、申立趣旨記載の審判を求める。

二 当裁判所の判断

(一)  本件記録並びに昭和五二年(家)第二三九〇号宇治市長の処分に対する不服の申立事件記録中の一切の資料によれば、上記申立の実情一乃至五記載の各事実が認められるほか、次の事実を認めることができる。

すなわち、事件本人玲子の出生届を受理した宇治市長が同事件本人の戸籍中、母欄の氏を当初コーネリアと記載したのは、渉外関係にある婚姻については、夫が日本人であつても民法第七五〇条の夫婦同一氏の適用はなく、したがって、マリアは、婚姻前の氏を称するものとして取扱う従来の戸籍実務に従つたものであるが、しかし、公式書類等で婚姻後の氏が確認出来る場合には、その証明された氏を記載する取扱いもしているため、その後、申立人の提出したスイス国における申立人らの家族簿には、マリアの氏はローマ字でムラマツと登録されているところから、宇治市長はコーネリアとの記載を片仮名でムラマツと訂正した。

(二)  ところで戸籍法施行規則附録第六号戸籍の記載のひな形によれば、子が嫡出子の場合、その子の父母欄の氏の記載については、父母が婚姻中のときは、母の氏は省略して記載しないことになつている。

しかるに、本件において、事件本人らの戸籍中の母欄にマリアの氏が記載されたのは、前記のようにマリアが外国人であるため、スイス国の家族簿にローマ字でムラマツと記載されていても、それは申立人と同一氏ではないとの戸籍実務に従つたものと解される。

(三)  そこで、マリアの婚姻後の氏について検討する。渉外関係にある婚姻による氏の問題の準拠法については、争いのあるところであるが、氏の問題は人の独立の人格権たる氏名権の問題として本人の属人法によるべきものと解すべきである。ところが、従来の国際私法上の通説によると、右に関する氏の問題は婚姻の身分的効力の問題として法例第一四条により夫の本国法によるものとし、夫が日本人の場合は民法第七五〇条によるべきであるとするが、マリアは上記の人格権説に従い同人の本国法であるスイス民法により申立人の氏を取得したものと解される。

ところで、戸籍実務においては、国際私法上の通説に従い婚姻により外国人である妻が日本人夫と協議のうえ夫の氏を称するに至つたような場合においても、民法第七五〇条の適用はなく、かつ、その法条の適用されない根拠として外国人は民法第七五〇条に規定する氏を有しえない(昭和二四年一一月一五日民事甲第二六七〇号、昭和四〇年四月一二日民事甲第八三八号民事局長回答等)との解釈により、外国人たる妻は、婚姻によりその氏を日本法上の氏に変動することはないものとして処理している。右戸籍実務のいう民法第七五〇条の適用されない根拠については明らかではないが、戸籍法が日本国籍を有する者についてだけ戸籍を編製する建前であるから、外国人は戸籍に編製されない以上、日本法上の氏を称することは出来ず、したがつて夫婦同一氏を規定する民法第七五〇条の規定の適用の余地がないとの解釈に立つているものと推論しうる。右の推論によれば、前記人格権説をとつた場合でも、外国人は日本法上の氏を称しえないとの結論に帰すると解せられる。しかしながら戸籍は実体法上の身分関係を反映するものであつて、戸籍法の規定から実体法たる国際私法や民法の規定を規制するがごとき戸籍実務のあり方は疑問とせざるをえない。又、戸籍実務の上記の解釈は、日本法上の氏は日本人固有のものと解していることによるものと考えられるが、氏は旧法下においては、家の呼称とされ日本人すべてはいずれかの家に属し、その家の呼称をもつて氏としていたが、日本国憲法の施行に伴い、家制度が廃止され、その結果氏が個人の呼称に変つたものと解されるので、渉外関係における氏の問題も個人の呼称という諸国に共通した概念でとらえるべきを相当と解する。したがつて、外国人が日本法上の氏を称することはなんら妨げないものと解される。

(四)  前記理由からマリアは婚姻により申立人の氏を称するものと解されるところ、戸籍法が日本国籍を有する者についてだけ戸籍を編製する建前である以上、申立人の戸籍の配偶者欄にマリアを妻として戸籍に編製することは出来ないとしても、事件本人らの戸籍中の父母欄の父母の氏名を表示するにすぎない事項の記載において、国際私法上取得した氏を戸籍に反映させることに不都合を生じるとも解せられない。この点に関連して、法務省民事局長は、「外国人男と婚姻した日本人女がその婚姻の結果、法例第一四条及び夫の本国法によつて夫の呼称(Surname)を称するに至る場合であつても、戸籍の取扱としては、同女を従前の戸籍から除かず単にその身分事項欄に婚姻の記載をするに止め・・・・・・るのが相当である。けだし、個人の呼称に関する制度は、各国まちまちであつて、外国法におけるその変動事由は、わが国のそれと必ずしも同一でないと考えられるばかりでなく、国によつては、法律によらず、これを慣習又は習俗に委ねている例が少なくない。戸籍法は、民法の規定する氏に従つて戸籍の取扱をすることとしているため、民法の規定する氏と変動の事由等が異なる外国法(又は慣習等)による個人の呼称に従つて戸籍の取扱をするときは種々困難が伴い、取扱の不可能な場合も少なくないと考えられる。従つて、外国人男と婚姻した日本人女は婚姻によつて日本国籍を喪失しないので、同女に関する戸籍の取扱としては、外国法(又は慣習等)による呼称を顧慮することなく引き続き同女は民法の規定による氏を保有するものとして処理するのが相当であるからである。」(昭和二六年一二月二八日民事甲第二四二四号民事局長回答)との態度をとつている。

たしかに、戸籍事務処理上の問題として、前記にいうごとく、氏の制度は各国まちまちであり、国によつては氏の制度がなかつたり、あるいは夫婦別氏の制度をとつていたり、あるいは氏と名の判別しがたい場合も考えられ、それらをすべて探索して外国人の氏の実態を把握することは至難の場合も考えられ、戸籍事務処理上の困難も予想されるところである。したがつて、一般的には現在の戸籍実務におけるように婚姻の事実があつても婚姻により氏の変動がないものと処理したり、あるいは公式文書によつて証明されうる漢字を使用している以外の外国については、その記載の表音を単に片仮名で記載する(昭和四一年六月三・四日鳥取県戸籍住民登録事務協議会決議、昭和四八年七月五・六日長野県戸籍住民基本台帳事務協議会決議)こともやむをえない処理といわねばならない。

しかし、本件については、マリアはスイス民法に従い夫である申立人の「村松」の氏を取得したものであること、右を受けて、マリアのスイス国における家族簿にはローマ字でムラマツと記載されたが、右のような記載になつたのは、スイス国においては、日本の漢字を使用することが出来ないためであると解されるところであり、上記事情については申立人提出の資料により容易に確認できるのであるから、このような場合にまで、あえて上記の戸籍実務に従い母氏欄に「ムラマツ」と記載する必要はないものと言わざるをえない。

(五)  以上の理由から、本件申立にかかる事件本人らの戸籍中母欄の母氏は戸籍法施行規則附録第六号戸籍記載のひな形に従い記載しない取扱にすべきであると解されるから、これに片仮名で「ムラマツ」と記載したことは錯誤による記載であると認められるので、本件申立を認容することとする。

よつて、参与員○○○○、同○○○○の各意見を聴いて戸籍法第一一三条により主文のとおり審判する。

(家事審判官 来本笑子)

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